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ジャーナリズム・マスコミ・マスゴミ
今年も今日で終わり。

今年は長男誕生、退職、引越といろいろな“出来事”があった一年でした。

数年後、十数年後に振り返ってみたとき、「あの年がターニングポイントだった。」
などと思うのでしょうか?

さて、話は突然変わりますが、今日で読売新聞主筆、渡邉恒雄(ナベツネ)による、日経新聞「私の履歴書」の連載が終わりました。

「すでに亡くなっている人には迷惑がかからない」ということなのでしょうか、今なら「ワイドショー」や「政治(風?)番組」のよいネタになりそうな話がポロポロ書かれていました。

そして、今回の連載で「なぜ、ナベツネはあれだけの力を持っていたのか?」も多少わかりました。

しかし、それ以上に今回の連載に関して、疑問に思ったことがあります。それは、一般読者が以下のような文章をどのように感じているかです。以下、2006年12月20日「私の履歴書」から引用です。

------------引用開始-------------
その年の十一月九日、病を得た池田さんの退陣で佐藤政権が発足すると、読売新聞は反佐藤の姿勢を鮮明に打ち出した。
------------引用終了-------------

確かに新聞社も「言論機関」の一つであるので、どのような議論を展開するかは自由であるのかもしれません。

しかし、発表されている通りに発行部数が1000万部を超え、日本の世帯数が約4700万世帯とすれば、そのシェアは20%を超えることになり、簡単に「世論操作」ができるようになります。

まして、テレビ局を傘下に持っていれば、「世論操作」はもっと簡単にできることでしょう。

自分の親を見ていても思いますが、地方(田舎)に住んでいる人間にとって「新聞」「テレビ」は「権威」そのものであり、「疑う余地」など微塵も持っていません。

「サブリミナル効果」ではありませんが、現状のニュース報道では、より「センセーショナル」より「劇場的」に見せるために、インパクトのある映像や写真が何度も流され、無意識のうちに「固定したイメージ」がすり込まれてしまっています。

冒頭の質問に戻りますが、「新聞・テレビ・ニュース」を「疑う目」「見極める目」を私たち日本人は持っているのでしょうか?

最近の「本間政府税制調査会の辞任」「佐田行革担当相の辞任」の報道を見ていても、「何らかの意志」が働いているとしか思えません。
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【2006/12/31 15:30】 | 文化・政治・日本人 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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